【記紀を知る】『古事記』と『日本書紀』とは?違いをわかりやすく解説!

この記事では古事記』日本書紀』の違いについて書いていきます。

二つの歴史書のことは両方の「き」の字を取り、「記紀(きき)」と呼ばれてもいます。
「古事記」「日本書紀」も、神話から始まる日本の歴史書です。
神話も歴史とされているなんて凄いですよね。

どちらも古代の貴重な書物ですが、二つは並べて語られることが多く、その違いについて説明することはなかなか難しいのではないでしょうか。
しかし二つはほぼ同時代に書かれたものであっても、その内容や役割にはかなりの違いがあります。

『古事記』『日本書紀』とは、そもそもどのようなものなのか」
ということから、それぞれの違いについて、このページではわかりやすく解説していきます。

「古事記」「日本書紀」とはそもそも何か?〜ザックリ解説〜

二つの歴史書とはそもそも、どのようなものなのでしょうか?
まずはそれぞれをザックリ説明します。

「古事記(こじき)」

「古事記」とは、和銅5年(712)に完成した、現存する日本最古の歴史書です。
第40代天皇である天武天皇の命令によって、稗田阿礼(ひえだのあれ)という舎人(とねり。そばに仕える者)が朝廷に伝わっていた「帝紀」と「旧辞」をまとめ、それを三代後の元明天皇の指示で太安万侶(おおのやすまろ)が筆録してまとめた、全3巻の書物です。

「日本書紀(にほんしょき)」

「日本書紀」とは、養老4年(720)に完成したとされる、現存する日本最古の正史です。
「古事記」と同じく天武天皇の命令によって国家事業として編纂され、天武天皇没後は舎人親王が責任者となって約40年かけて作られ、全30巻にも及ぶものとなりました。
1・2巻が神代であり、3〜30巻が歴代天皇記です。

「古事記」「日本書紀」の違い

それでは、並べて語られることの多い、「古事記」「日本書紀」の違いは何でしょうか?
共通する部分と、異なる部分をまとめました。

共通する部分

・歴史書である
・第40代天皇である、天武天皇(てんむてんのう)の令によって作られた
・だいたい同時期に書かれている

異なる部分

それでは異なる部分を、それぞれ見ていきます。

①:目的

「古事記」

歴史物語として作られる
国内向け
天皇の正統性を伝える

「日本書紀」

朝廷の公式の正史として作られる
海外向け
国としての正式な史書を作成する

実は、「古事記」「日本書紀」では「目的」が大きく異なります。
両方とも天武天皇の命令で作られ始めたのですが、当時の日本は近隣の軍事大国「唐(今の中国)」の発展により国家統一の必要に迫られており、そのための施策の一つとして作られたのです。
そして、それぞれ別の目的の命令によって、二種類の書物が作られたと思われます。

国家事業の正史としては、雑多な歴史の出来事をまとめた書物として40年という歳月がかけられながら、「日本書紀」が完成しました。
しかしそれとは別に、歴史物語としての書物の作成も進められ、先駆けて完成したのが「古事記」というものです。

「海外に向けて」の正式な史書を作るという目的で作られた「日本書紀」に対して、古事記」「国内向け」と言えます。
そこには、「天皇の正統性を国民に伝える」という目的があったのです。
天武天皇を中心とした、「記紀」の構想者の考えは深いですね。

②:ボリューム

「古事記」

全3巻。
上巻(天地誕生〜海佐知毘古・山佐知毘古)
中巻(神武天皇東征〜応神天皇の時代)
下巻(仁徳天皇の時代〜推古天皇の時代)

「日本書紀」

全30巻+系図1巻。
1・2巻→神代(天地創世〜神武天皇誕生)
3〜30巻→歴代天皇記(神武天皇〜持統天皇)
系図

二つの書物はボリュームが大きく異なります。
「古事記」が全3巻であるのに対し、「日本書紀」は30巻にも及びます。

「古事記」の執筆者は太安万侶(おおのやすまろ)一人であるのに対して、「日本書紀」は途中から責任者となった舎人親王の他にも当時の学者らが数名で執筆しています。
そのため、ボリュームも、雑多な歴史をまとめるという意図からの内容も、変わってくるのですね。

③:範囲

「古事記」

第33代「推古天皇」まで

「日本書紀」

第41代「持統天皇」まで

書かれている範囲も異なります。
「古事記」は第33代であり初の女性天皇である推古天皇(在位592年〜628年)まで、
それに対し「日本書紀」は第41代であり天武天皇の妃でもある持統天皇(在位690年〜697年)まで、
となっています。

④:言葉

「古事記」

古代日本人が用いた「やまと言葉」で書かれる。
日本語を漢文で記す、和化漢文という方法。
和歌が多い(112首)。

「日本書紀」

漢文で書かれている。
日本語ではなく、外国語で書かれていると言える。
外交のための国家事業という意味もあったため。
和歌もあるが、「古事記」に比べて少ない(128首)。

両方とも漢文ではありますが、「古事記」は「やまと言葉」を漢文で記すという方法が用いられています。
それに対して「日本書紀」は純粋に漢文なので、今でいうと世界共通語の英語で書いているようなものでしょうか。

「古事記」は和歌が多いというのも、特徴の一つです。
全体の数は「日本書紀」のほうが多いですが、巻数が10倍であることを考えると割合の違いがわかりますね。

⑤:内容

「古事記」

・神話の占める割合が多い。(全3巻中まるまる1巻→3分の1)
・出雲系の神話エピソードが描かれている。
→因幡(いなば)の白うさぎ。兄たちに試練を与えられる大国主神など。
・天皇家の歴史をまとめた(『帝
紀』『旧辞』)書物であるため、天皇の正当性を示す狙いがある。
→英雄的な、物語調の話が多い。

「日本書紀」

・神話より、歴代天皇記が多くを占める。
→歴史の出来事のまとめ。
・出雲系の神話エピソードは多くが省かれている。
→因幡の白うさぎも、兄たちに試練を与えられる大国主神のエピソードなども、ない。
・唐(中国)のような諸外国に日本をアピールするためという側面があるため、唐などの史書を意識。
→日本国内の出来事だけではなく、唐や朝鮮の文献からも引用あり。

⑥:登場人物(神様など)の名前

登場人物(神様など)の名前も、記紀ではそれぞれ変わっている場合が多いです。
以下の表はその例です。

 古事記日本書紀
アマテラスオオミカミ天照大御神(あまてらすおおみかみ)

天照大神(あまてらすおおみかみ・あまてらすおおかみ)
大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)
大日女尊(おおひるめのみこと)
大日孁(おおひるめ)
大日女(おおひめ)

スサノオノミコト建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
速須佐之男命(はやすさのおのみこと)
須佐之男命(すさのおのみこと)
素戔男尊(すさのおのみこと)
素戔嗚尊
オオクニヌシ

大国主神(おおくにぬしのかみ)
大穴牟遅神(おおあなむぢのかみ)
宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)

大国主神(おおくにぬしのかみ)
大己貴神(おおなむちのかみ)
大物主神(おおものぬしのかみ)

神武天皇

神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)
若御毛沼命(わかみけぬのみこと)
豊御毛沼命(とよみけぬのみこと)

神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)
彦火火出見(ひこほほてみ)
神日本磐余彦火火出見尊(かんやまといはれびこほほてみのみこと) 
神功皇后(じんぐうこうごう)息長帯姫大神(おきながたらしひめのみこと)
大帯比売命(おおたらしひめのみこと)
気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)

読み方などはだいたい似ていますが、言葉の違いがあるからか、漢字が大きく異なります。
中には神武天皇のように、別名が「古事記」「日本書紀」では大きく異なる場合もあり、興味深いですね。

人物名の最後に付く「みこと」には表の通り、「命」と「尊」があります。
よく見ると、「古事記」では「命」、「日本書紀」では「尊」が使われています。
「みこと」は身分の高い方に付ける敬称であり、「古事記」では「命」しか使われておらず、「日本書紀」では中でも特に尊い方に「尊」を用いるいう使い分けがされているのです。

違いを超えたところに

「古事記」「日本書紀」の違いを見てきました。
両方の違いとして、まず捉えなければならないのは、やはり「目的」が違うという点だと思います。
「古事記」が「国内向け」であるのに対して、「日本書紀」は「海外向け」というところで、それぞれ視点が変わってきて当たり前だと思うのです。

「日本書紀」は多くの文献を参考にしてより広い視野で客観的に歴史が書かれているという特徴がありますし、「古事記」には「国内向け」にやまと言葉でより濃密に古代日本人の思想が語られているという側面があります。
それぞれ利点があり内容に相違はありますが、どちらが優れているとか、どちらかを読まなくて良いということではないという気がします。
だからこそ、違いを超えたところに双方の不可欠性があり、今まで大切にされてきたのでしょう。

 

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